山路ふみ子とは
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山路ふみ子生誕100年感謝の集い
山路ふみ子13回忌法要・御斎の会


山路ふみ子写真館 学生映画コンクール

山路ふみ子とは

当財団創設者 山路ふみ子の足跡です。


山路ふみ子の生きた時代
明治45年 (1912年) 神戸市に生まれる
昭和2年 森高等女学校入学
昭和4年 近所の写真館が無断で応募した「ミス神戸」に選出。
昭和5年 帝国キネマ入社。「神戸行進曲」で主演デビュー。
菊池寛より「山路ふみ子」の芸名を贈られる。
昭和 7年 日活移籍。第1作「己が罪、環」
昭和10年 新興キネマ(旧帝国キネマ)再移籍。「国境の町」で東海林太郎と共演。
女性ドライバー第1号
昭和12年 「愛怨峡」溝口健二監督作品に出演
昭和13年 「ああ故郷」同上 に出演
昭和20年 戦後円封鎖により全ての資産を失う。
~23年 母親の眼病の治療にも困り、「山路ふみ子劇団」を旗揚げし全国巡業を行なう。
昭和23年 「お銀清次郎、色ざんげ」松竹。最終出演作品。
昭和24年 東京、芝で料亭「山路」開業。松下幸之助、池田勇人、藤山愛一郎、玉の海など日本の政財界のトップが集う都内有数の高級料亭として賑わう
昭和27年 緑内障により右目失明。
昭和36年 「光のプレゼント協会」(アイバンク)10万円寄贈。
昭和38年 料亭「山路」廃業。
昭和53年 母、恵代 他界。
昭和56年 母親を失ったショックのため、くも膜下出血で倒れる。
平成16年 12月6日 92歳で永眠。
平成24年 山路ふみ子生誕100年


主な褒賞
昭和38年 善行銅賞
最高殊勲婦人賞(中央公論)
昭和47年 藍寿褒賞
昭和53年 日本ペンクラブ賞
平成3年 学習院栄誉賞
ダイヤモンドレディ賞
外務大臣賞
国連協会会長賞
平成5年 ゴルカ・ダ・クシン・パブ(ネパール最高栄誉賞)